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一葉
| 投稿日 | 2009/08/02 |
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| 最新更新日 | 2009/08/02 |
| ホームページ | http://www.h6.dion.ne.jp/~yu-gure/ |
| 作品紹介 | 日本戦国シリーズより井伊直政。 ■井伊直政 1561年、井伊直親の長男として生まれる。 父が謀反の疑いをかけられて謀殺されたことから、幼い頃は、今川家にたびたび命を狙われていた。 しかし徳川家康に小姓として仕えるようになると、数々の戦で戦功をあげ、後に本多忠勝・榊原康政・酒井忠次と並んで「徳川四天王」の一人に数えられることになる。 1584年の小牧・長久手の戦いでは、豊臣秀吉の家臣・池田恒興を討ち取り、その名が一躍天下に轟くようになった。 このとき、鎧を赤で統一した「赤備え」の軍を率いて出陣し、その猛攻振りに「井伊の赤鬼」と呼ばれて恐れられたと言われている。 関ヶ原の戦いでは、福島正則と先鋒を競って抜け駆けし、戦いの火蓋を切って落とす(本来は軍規違反で処罰されるところだが、家康は彼の抜け駆けを認めた) 戦場の只中を突っ切って逃亡する島津軍を執拗に追撃したが、 あと一歩のところで取り逃がしてしまった。 この直政の猛将振りに感心した島津義弘は、関ヶ原の戦い後の和睦交渉で、仲介人に直政を指名する。 1602年、島津軍追撃時に負わされた傷が元で破傷風に罹り、亡くなった。 直政は他人にも自分にも厳しく、また忠義は徳川四天王の中でも随一であったと言われ、引き抜きの将ながらも、家康も彼には特に目をかけていた。 他家からよく陪臣の引抜を行っていた秀吉も、家康家臣の中では、直政を一番欲しがったと言われる。 また当主であるにも関わらず、常に前線に立って戦い、薄手の具足で生涯傷1つ負わなかったといわれる本多忠勝とは対照的に、厚手の具足でも生傷が絶えなかった。 家康は諸将の前で、彼の傷の由来を涙ながらに一つ一つ語り、これに感じ入った家臣たちも、いよいよ家康への忠義を深めたと言う。 彼の治めていた滋賀県彦根市では、現在も彼の人気は高く、ゆるきゃらブームの火付け役となった「ひこにゃん」は彼をモデルにしている。 |
| 作家コメント | 日本戦国シリーズから、井伊直政イメージ。 「井伊の赤鬼」と呼ばれた激しさと、家紋である橘の花を使って、将としての美しさを同時に表現してみました。 |
| キーワード・タグ | 歴史 イラストレーター 赤 人物 綺麗 |
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| 一葉 | 2009/08/08 |
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なまたまごさん> | |
| なまたまご | 2009/08/06 |
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洗練された、華のある美しいイラストですね。 | |




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