今回は『チェンソーマン』と『よだかの星』の関係と伏線について考察していきます。
現在『チェンソーマン』2部が連載開始され、101話までが公開されました。
最新話では、ついに戦争の悪魔の名前が“ヨル”と決定しました。
初登場時がヨルだったことから、戦争の悪魔はフクロウなのかと思っていましたが、言動や行動から察するに正体はどうやら“ヨタカ”が正解のようです。
ヨタカといえば、宮沢賢治の童話「よだかの星」が有名です。
そして『チェンソーマン』2部のシナリオもよだかの星が意識されているようなので、まずはよだかの星の簡単な解説をしてから考察していこうと思います。
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宮沢賢治が描く“罪悪感”。『よだかの星』あらすじと簡単解説。
『よだかの星』あらすじ
よだかは見た目の醜さゆえに、周りの鳥から疎まれ、蔑まれ、悪口をいわれ仲間外れにされていた。
挙句の果てに鷹から「名前が似ているから不愉快、明日までに“市蔵”解明しなければ殺す。」と宣告される。
また、こんなどうしようもない自分が羽虫を食べて命を奪っていることによだかは絶望する。
故郷を離れ、焼け死んでもかまわないので太陽のもとへ行きたいと念願する。
太陽からはよだかは夜の鳥だから星のところに行くように言われるが、星からは相手にされなかった。
それでも必死に飛び続けるうちに、よだかはいつまでも青白く燃える“よだかの星”になる。
国語の教科書にも載っていたことで有名な『よだかの星』は、児童向けには「見た目や身体的特徴で差別してはいけない。」という教訓話になっており、大人向けには宮沢賢治特有の感性や、「非暴力は時に暴力よりも残酷。」という恐ろしさも感じる作品になっています。
そして、宮沢賢治が『よだかの星』の中で描いた「いじめ」「食物連鎖」「転生」「罪悪感」というテーマは特に『チェンソーマン』2部にもつながっていきます。
食物連鎖から始まる物語。『チェンソーマン』2部の始まり方。
『よだかの星』では、よだかが「自分が羽虫を食い、羽虫を何匹も食った自分が鷹に殺される」という食物連鎖の流れに絶望する場面があります。
宮沢賢治の作品では『注文の多い料理店』など、食物連鎖が度々テーマとして扱われます。
そして『チェンソーマン』2部では、この“食物連鎖”からすべてが始まります。
『チェンソーマン』2部は、“いのちの授業”として主人公の三鷹アサが通う高校のクラスに『コケピー』という鶏の悪魔が連れてこられたところから始まりました。
担任の先生は鶏の悪魔をクラスで育て、3か月後にみんなで殺して食べると言います。
この世界は「食べる。食べられる」の関係で成り立っています。
植物が光合成で有機物を生み出し、それを食べる草食動物がいて、草食動物を食べる肉食動物がいて、肉食動物の死骸を食べるバクテリアなどの分解者がいて、分解者が植物のエネルギーになります。
この流れをちゃんと勉強することに意味はありますが、三鷹アサのクラスは最終的に食物連鎖の流れを拒み、コケピーを生かすことを選択します。
この選択が正解か間違いかを、第三者が決めることはできませんが、少なくとも『チェンソーマン』2部の物語はここから悲劇が起こります。
食物連鎖の流れからぬけたコケピーは結局、アサが転んで潰して死んでしまいます。クラスの人気者になっていたコケピーを殺したアサはクラスからのけ者にされ、いじめを受けます。
いじめの内容は暴力こそありませんが、のけ者にされたり、靴箱に鶏肉を入れられたり、わざと聞こえるように陰口を言われるという陰湿なものです。
そのうちアサは、自殺を考えるようになってしまいますが、とある事件をきっかけに戦争の悪魔(よだか)と出会い、死を回避します。
戦争の悪魔(よだか)が現れなければ、日常的に自殺を意識していたアサは事件が起こっていなくとも自ら死んでいたかもしれません。
『よだかの星』でよだかは自分が周りから迫害を受けて孤独になったとき、はじめて自分が食う側であることを自覚し、自分より弱い小さな虫の存在に気が付くことができました。
そしてアサも、自分がクラスから孤立させられて、初めて自分以外にも弱い存在がいることを知ります。
いじめが許されるわけではありませんが、コケピーを殺してクラスメイトからいじめられる前のアサは、周りを拒絶し無意味にひたすら嫌悪していました。
それが最新話では、友人はいらないと言っていたアサがユウコという友人を大切に思っています。親を失い自暴自棄になって、ある種の人間性を失っていたアサは、逆境を糧に生きる意思と新しい自分を得ることになります。
一度死に、転生したアサ。それはよだかのように夜空に輝き続ける星になったのか、それとも全く別の存在になっているのでしょうか。
三鷹アサを除くクラスメイトの残酷な未来。
食物連鎖を軽んじた人間が痛い目を見る作品はいくつもあります。
中でも有名なのは『ジュラシックパーク』です。恐竜映画の金字塔『ジュラシックパーク』の一作目には、自称ベジタリアンの“レックス”という女の子が出てきます。
レックスは動物がかわいそうという理由でベジタリアンを主張しますが、純粋に肉の臭みが苦手だから菜食主義を名乗っているだけっぽかったり(動物性たんぱく質でできたゼリーは食べる)、世間知らずで登場人物たちを危険な目に合わせてしまうこともあります。
肉食の人を小ばかにしたり、自分よりも幼い弟以上に慌てふためく様子は、多くの観客からヘイトを集めてしまいました。
そういった現実にもいそうな“ウザイキャラ”が痛い目を見るのを楽しむのが、モンスターパニック系の“お約束”です。
しかし、レックスはただのやられ役で終わりません。
恐竜達が闊歩する無法地帯となってしまったジュラシックパーク内で、レックスはサバイバルをし、成長していきます。草食恐竜と肉食恐竜の営みを目にして、自分自身も食物連鎖の理解を深めます。
ベジタリアンが正しいか正しくないかではなく、なぜそういうことを考えるのかが大事なことがわかります。
映画の終盤では妄信的にうわべだけのベジタリアンを語っていたレックスの姿はなく、頼りになる立派なお姉さんとして成長していました。
そんなレックスに対する成長の餞別か、映画のクライマックスにレックスが凶暴な小型肉食恐竜のヴェロキラプトルに襲われそうになったとき、食物連鎖の頂点であるティラノサウルスが助けてくれます。
三鷹アサも自分が死ぬ寸前に、これまでの自分の行動を悔い改め、成長ができたことで戦争の悪魔に命を救ってもらうことができました。アサは一度死ぬまでは他人を拒絶し、心の中で「死ね」とはき捨てるような女の子でした。
アサの境遇に同情してくれていたクラスメイトも、コケピーを殺した今ではアサを白い目で見ています。
ここから生まれ変わったアサが、どうやって関係を修復していくかは見どころですが、個人的にはクラスメイトには痛い目にあってほしいですね。
コケピーの一件依頼、アサに対してクラスメイトは陰口を言ったり、靴箱に鶏肉を入れたりと陰湿ないじめをしています。
悪魔とはいえ、大事な友達を殺した相手を嫌う気持ちはわかりますが、鶏肉をつかったいじめは“いのちの授業”も“コケピーの死”もまったく意味がなかったことを物語っています。
ここからは個人的な妄想になりますが、『チェンソーマン』の世界では20人中7人が悪魔に殺されるくらい治安が悪い世界らしいので、アサのクラスメイト達は強力な悪魔に食べられることで、身をもって“いのち”と“食”について学んでほしいですね。
『チェンソーマン』は転生ものだった!?よだかの星のように転生できない悪魔達。
『よだかの星』では“食物連鎖”と“転生”がよだかの死に大きく関わっています。
そしてこの二つのテーマは『チェンソーマン』に登場する悪魔を連想させる言葉でもあります。
『チェンソーマン』の世界では悪魔は一度死ぬと地獄で蘇り、更に地獄で死ぬとまた現世に蘇るそうです。
この輪廻転生は、『よだかの星』で描かれた宮沢賢治の仏教思想とも「心が清いものが美しいものに生まれ変わる」というものとも違います。
むしろ、支配の悪魔のように凶悪な悪魔が転生して無垢な存在に生まれ変わるという例もあります。
藤本タツキ先生はよく美術品や宗教画、宗教話を物語でオマージュすることがあります。
なので、ただ単に『よだかの星』の言葉やストーリーにインスパイアを受けただけかもしれませんが、『チェンソーマン』2部では転生という現象が悪魔以外にも起こりました。
それは主人公の三鷹アサです。
1部のデンジも一度死んで、ポチタに命を助けられていますが体は完全にデンジのもので、脳も意識もデンジのものでした。加えて、デンジは死ぬ前と死んだ後で性格も変わっていませんし、むしろ自分の欲求により忠実になっています。
しかし、2部主人公の三鷹アサは死ぬ間際に自分のこれまでの行動を悔い反省しました。
戦争の悪魔に助けられた後、アサの体は戦争の悪魔のものになっていて、アサの脳みそが半分だけ残っているので自分の意識はあるという状態です。
死ぬ前に学んだ教訓と強力な能力を手にして生き返ったアサはまさに転生ものの主人公です。現状は血塗られていて、よだかの星のように綺麗なものではありませんが、それもこれからの行動次第です。
夜空に輝き、青白く綺麗に燃え続ける星のような存在になるのか、戦争の悪魔の力をつかってこの世を燃やし続ける煉獄の炎になるのか?これからの展開が楽しみです。
行動をきっかけにいじめられたアサと見た目が醜いヨル。戦争の悪魔の外見を考察。
「#チェンソーマン 第二部」
ジャンプ+にて
本日は最新第101話が配信されました!
※第102話は1週空いて8/17(水)配信予定です▼「チェンソーマン」第101話はこちらからhttps://t.co/A6wRUrJYld
— チェンソーマン【公式】 (@CHAINSAWMAN_PR) August 2, 2022
三鷹アサはコケピーを殺してしまうという、自らの行いによっていじめを受けてしまいます。
醜い見た目でいじめを受けていたよだかとは違い、むしろコケピーの一件より前はクラスメイトから親がいないことで同情をされていました。
アサがクラスメイトを拒絶していた側だったのが、いつの間にか拒絶される側になっています。コケピーを殺したせいでもあるでしょうが、これって実は戦争の悪魔の影響があるのではないでしょうか。
戦争の悪魔のモデルは“ヨタカ”です。作中では目が飛び出ていて毛並みの汚い醜い鳥の姿と顔の真ん中に痛々しい傷を負った三鷹アサの姿が登場しています。
はじめはフクロウがモデルかと思いましたが、自分のことを“ヨル”と名乗ったり、姿の醜さが強調されて描かれていることから『よだかの星』のよだかのモデルになった鳥“ヨタカ”で間違いなさそうです。
『よだかの星』でよだかは、朝日に拒絶されていました。『チェンソーマン』でヨルはアサから好印象というほどではないものの、なんだかんだいいコンビをやっているように見えます。
戦争の悪魔がなぜチェンソーマンを倒そうとしているのか?なぜ弱弱しい鳥の姿なのか?その正体と目的は下記のURLの記事で書きましが、よだかの姿をしている意味までは考えていませんでした。
もしかすると戦争の悪魔は、“戦争”という自らの呪われた出自と醜い見た目がコンプレックスでどうにかしたいと思っているのかもしれません。
自分と似た境遇のアサとかかわって戦争の悪魔がどう変わっていくのかもみどころです。
『よだかの星』の罪悪感とつながる『チェンソーマン』の罪悪感に注目。
『チェンソーマン』では“罪悪感”が大切な感情として描かれています。
人形の悪魔は、罪悪感は人形を人間にするために込めなければならない大切な感情の一つだと語り、マキマはデンジの父親を殺した罪悪感をつかってデンジを廃人にしました。
そして『チェンソーマン』2部では戦争の悪魔が武器にする人間は、武器にする人間に対する使用者の罪悪感が大きければ大きいほど強くなるという設定が出てきました。
『よだかの星』でもよだかが感じる罪悪感がとても丁寧に書かれています。
これは、宮沢賢治が生前に感じていた自分の生に対する罪悪感が色濃く反映されていると思います。『チェンソーマン』でも藤本タツキ先生なりの考え方が作品ににじみ出てきていると思うと面白いですよね。
正義の悪魔の手を切り落として武器にしたように、戦争の悪魔は人に限らず悪魔でも武器に変えられるようなので、コケピーを武器にしたら三鷹アサの罪悪感も相まって強力な武器ができると思うんですが、二人とももうコケピーのことは忘れてしまっているのでしょうか?
この“罪悪感”という感情は『チェンソーマン』2部の中でもまだまだ掘り下げられていくと思うので、これからのストーリーを罪悪感という感情をポイントに読んでいっても面白いかもしれませんね。
『チェンソーマン』2部のこれからの展開が楽しみです。
